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STOP八ッ場通信9号P3【ちば弁護団かたる 第4回】 

STOP八ッ場通信9
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1 生い立ち
 1953年、相撲で有名な東京下町の両国生まれです。
毎日のようにお相撲さんを見ながら成長しました。
その頃は、親方が日本各地からスカウトしてきた将来有望な中学生を相撲部屋に住み込ませ、部屋から学校に通わせることが許された時代でしたので、私が通っていた両国中学には各クラスに2~3名の力士の卵がいました。
彼らは、勉強の方は余り得意ではありませんでしたが、運動神経は抜群で、100㎏を優に超える体格にもかかわらず、100mを12~3秒台で走るのです。運動会は圧巻で、騎馬戦や棒倒しなど、私たち一般生徒は怖くて逃げ回っていました。

 中学の1年後輩に、日本相撲協会の前理事長であった横綱北の湖がいます。もっとも彼は私が卒業した次の年に転校してきたので、実際に会った事はありません。
私が司法試験に合格した年に、彼は横綱を引退しました。司法研修所での最初の自己紹介の時に、北の湖が中学の1年後輩であることを話し、「北の湖は相撲取りとしての人生を終えましたが、私の法曹人生はこれから始まります。」と挨拶したことが思い出されます。

2 弁護士になったわけ
 将来弁護士になるなど思ってもいませんでした。
高校では理数系クラスでしたので、大学は理学部化学科に入学しました。
卒業後はどこかの研究所にでも就職するんだろうなと漠然と考えていましたが、偏微分だとか偏積分など高校の数学とは比べものにならないような数式を勉強させられ、こんな数式を相手に一生を過ごすのは嫌だなぁーと思い始めた頃、司法試験の受験をしている先輩の話をきき、生身の人間相手の仕事をする弁護士の方が面白そうに思え、理学部から法学部に転部しました。
以後、ほぼ独学で、長いことかかりましたが1987年に司法試験に合格し、1990年4月に千葉県弁護士会に登録しました。

3 弁護士になってから
 1988年4月~1990年3月まで司法研修所で2年間、弁護士になるための研修を受けましたが、その頃は丁度、天皇の代替わりの時期でした。昭和天皇の下血騒ぎから新天皇の即位に向け、マスコミでは新天皇の即位の礼・大嘗祭という国家神道儀式の大宣伝が行われていました。
研修仲間で、こんな憲法20条の政教分離原則に違反する事を黙っていていいのかという声が上がり、弁護士になったばかりの新米にもかかわらず、10名位の仲間で「即位の礼・大嘗祭違憲住民訴訟」を始めました。
その裁判は最高裁まで行って住民敗訴で終わりました。政教分離裁判をやった事から、小泉元首相の靖国神社参拝に対して、千葉でも「小泉靖国参拝違憲訴訟」が提起され、弁護団事務局長として従事しました。
小泉靖国参拝違憲訴訟は全国6つの裁判所で争われましたが、福岡地裁・大阪高裁で違憲判決がでたものの、千葉訴訟は敗訴でした。こんな経歴から「趣味提訴、特技敗訴」というニックネームを頂戴することになりました。

4 八ッ場ダム訴訟について
 千葉県弁護士会では公害対策・環境保全委員会に長く所属しており、ゴルフ場開発反対、三番瀬埋立反対、県内の産廃処分場開設反対の運動に関与してきた関係から、八ッ場ダム訴訟にも関与することになりました。
この訴訟は、環境系弁護士とオンブズ系弁護士が協同する新しい弁護団が担っています。千葉県の無駄な公共事業(千葉に限らないか)を止めさせ、環境破壊を止めさせる大切な意義をもった訴訟です。
「特技敗訴」という不名誉なニックネームを返上させるためにも、住民の皆さんと弁護団とで力を合わせ、是非とも勝利したいものです。



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