STOP八ッ場通信16号 P6【弁護士弁護士は語る千葉訴訟弁護団】  

STOP八ッ場通信16号 P6

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<弁護士は語る>千葉訴訟弁護団 島田 亮

 私が弁護士になって早14年目を迎えます。学生時代の私はノンポリで、司法試験の受験にもさしたる積極的な動機はありませんでした。たまたま法学部に在籍していたことと、弁護士の何となく自由そうな雰囲気に惹かれたこと。今考えてみても、本当にそれくらいの動機しか思い出せません。
 ということで、いざ弁護士になった後も、取り立てて何をしたいという考えはなく、成り行きに任せて過ごしてきました。そうしたら、いつの間にか八ッ場ダム弁護団に入り、ダム問題に取り組むことになっていました。
 私が初めてダム問題を意識したのは、高校生の時でした。それまでの私は、「ダムとは人間の英知が生み出した素晴らしいものだ」と思っていました。「人間は、ダムを造ることによって自然を支配することが出来るようになり、そのようなダムを生み出した人間とは、何と素晴らしい存在か」、と思っていたのです。
 そんな私でしたが、高校社会科の課題図書として、「水と緑と土」(富山和子著、中公新書)という本を読み、大いなる感銘を受けました。
 昔の日本人は、自然と共生してきました。人は自然の一部であり、決して自然を支配する存在ではありませんでした。ところが、明治以降、日本人はダムを造り、川を堤防で固めていきました。元々自然と共生してきた日本人が、明治以降、自然を支配しようと一大方針転換をしたのです。同時に、山に降る水も、共生すべき自然の一部でなく、コンクリートで固められた河川を通じて早く海に放出すべき「邪魔者」になってしまいました。
 なるほど、そのような見方や考え方があるのか。同書を読み終わった私はすっかり感心し、いつの間にか反ダム派に転向していました。もっとも、これは私が心の中で思っていただけで、何か具体的な行動に移すことはありませんでした。
 その後、私は弁護士になり、成り行きに任せて過ごしていたら、いつの間にか八ッ場ダム弁護団に入っていました。弁護団加入のきっかけも人から誘われたことであり、自ら進んで参加した訳ではありません。それでも八ッ場ダム弁護団に誘われた際には、高校時代に覚えた「反ダム魂」を思い出し、ついつい承諾してしまっていました。そして、その後の私は、ダムが必要であると強弁する国や千葉県に対する「怒り」を原動力に、何とかこれまで弁
護団活動を続けてきました。
 思うに、ダム問題の根源は、人が、自然との共生を忘れてしまった点にあるのだと思います(これは、昨今の原発問題にも通じるところがあるように思います)。
 本来、自然とは、支配するものでなく共生するもののはずです。人は自然の支配者でなく、自然の一部です。人が自然を支配し利用しようと考えることは、思い上がり以外の何物でもないと思います。
 ところが、ダム建設を推進する国や千葉県には、このような考え方が決定的に欠けています。ダムとは、治水面では、邪魔者である水を閉じこめておく道具であり、利水面では、好きなときに水を引き出すための道具です。そして、このように便利な「道具」を造るためであれば、どれだけ費用を掛け、環境を破壊し、危険を生じさせても、許されるというのです。ここには、自然とは支配し利用するものだという発想しかありません。
 自然と共生するという謙虚な発想こそが、今の日本に求められていることだと思います。そして、そのような謙虚な発想を身につけるためには、「教育」が重要なのだと思います。私自身、高校での教育を通じて「水と緑と土」という一冊の本と出会わなければ、このような発想には至らなかったかもしれません。
 では、教育を改善していくためには、どうしたら良いのでしょうか。ここまで来ると、少々話が大きくなりすぎ、私の手には負えなくなってしまいます。私は私なりに成り行きに任せ、今後も自分に出来ることを頑張っていきたいと思います。

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