STOP八ッ場通信13号P3【ちば弁護団かたる】  

STOP八ッ場通信13号

ちば弁護団かたる  (第6回) 
          山口 仁
1、 この仕事についた理由
小学校6年のときに「20年後の自分」という卒業文集で、弁護士になっていることにしたのがこの職業を選んだ理由になります。
1970年、小学校3年のときに万国博覧会が大阪で開催されました。フジパンロボット館や三菱未来館では科学技術の進歩によるバラ色の未来が描かれる一方、ヘドロ、光化学スモッグ、公害病等のニュースがマスコミを賑わせ、東宝ゴジラ映画、テレビの変身ヒーロードラマでも公害をシンボライズした怪獣・怪人が現れていました。小学生用雑誌の付録のソノシートで、東京湾から移動し、田子の浦に上陸するヘドラの鳴き声を何回も聴きました。東京湾はもの凄く汚い海だと長いこと思い込んでいました。
書いた内容は、20年後には公害問題は終息しているけど人間関係をめぐる紛争はいつの時代にもあとを絶たないといった述懐めいたものでした。
弁護士という職業の存在をクラスメイトから知らされたのが、作文提出の前日で、家にあった百科事典で「弁護士」の項目を調べて、書いたのを覚えています。
20年後の自分がどうなっているかなど、全く想像できませんでした。
中学で宮澤賢治の作品に大きな衝撃を受け、大学は文学部を選んだのですが、大学で単位をあらかた揃えてしまった段になっても、小学生の頃同様、将来に対するイメージが湧かず、漫然と留年を重ね、司法試験受験生という存在になりました。
あの作文の20年後に丁度、弁護士として第一歩を踏み出すことになります。
初志貫徹というより、小学校6年の自分が弁護士になると書いてしまったから、弁護士になった面が大きいです。
すでに15年以上、この仕事をしているわけですが、未だにはっきりしたイメージが湧かないところがあります。この年にもなって、随分、中途半端だなとがっかりもします。
自分はよくも悪くもこの程度だという諦観がついてきたのはここ数年でしょうか。
2、この訴訟に向ける気持ち
弁護団の半数以上が加入している公害対策・環境保全委員会の委員になったのは、弁護士になって10年近く経ってからでした。
環境問題への関心はあったのですが、環境運動というとむしろネガティブな原体験がありました。
大学留年1年目の春、九州を電車で回ったのですが、天狗伝説のある英彦山(ひこさん)という山にさしかかったとき、同じ車両に乗り合わせた人たちから署名を求められたのです。この山の乱開発に反対する趣旨のものだったと思います。
署名はしたのですが、たとえ正義でも押し売りっぽい雰囲気に嫌な気持ちになったのを覚えています。同じ旅行中、長崎の街頭でいきなり福引をひかされ、当たりと言われて、紛い物の指輪を指に嵌められてしまい、幾ばくかの金を払ってしまったときの不快感とセットになっています。
親の代から押し売りに弱いところがあり、法律を勉強しようとしたのは法律で自己防衛する必要を感じたからかもしれません。
法律と関わってきた実感は、法律は防御のためには有効だが、積極的に何かを変える道具にはなりにくいことです。
弁護士としては、自らの正義と思うところを実現することよりも、まず公正であることを心掛けたいという気持ちです。何が正義かなど簡単に分かるものでなく、それを皆で考え実現していく場を守るのが法律家の職責、唯一のとりえかなとも思っています。
あれ以来、自分が納得したこと以外には署名しないように心がけているのですが、八ッ場ダム訴訟の弁護団に加入したのは、そんな自分でも、このダムは建設されるべきでないと素朴に感じたことが第一です。
ただ、あくまでも裁判手続に限った次元でお手伝いしたいという気持ちがあります。政策決定過程へのコミットの仕方についての美学の問題もあります。
理屈で人が動かないことは自明なのですが、やはり言葉の持つ力を信じたいという気持ちが強いのかもしれません。文学の言葉と法律の言葉は別物ではあるにしても。

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