八ッ場裁判 最高裁の判決が出る
八ッ場ダム事業への支出差止めを求める住民訴訟はまことに残念ながら、住民側の敗訴が確定しました。
いま、台風18号による大規模な被害が報じられ、私たちが主張してきた「大規模なダムより堤防の補強を」の主張が採用されていれば、との思いがこみ上げます。
今週になってから、9月8日付けで最高裁の第三小法廷の栃木と千葉へ、9日付けで第二小法廷の群馬と埼玉へ、10日付けで第一小法廷の茨城と東京へ、決定書が送られてきました。
内容は次のようにひどく簡単なものでした。
決 定
主 文 本件上告を棄却する。
本件を上告審として受理しない。
上告費用及び申立費用は上告人兼申立人らの負担とする。
理 由
1 上告について
民事事件について最高裁判所に上告をすることが許されるのは民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ,本件上告の理由は,違憲をいうが,その実質は単なる法令違反を主張するものであって,明らかに上記各項に規定する事由に該当しない。
2 上告受理申立てについて
本件申立ての理由によれば,本件は,民訴法318条1項により受理すべきとは認められない。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。
2004年11月に一都五県で一斉に提訴してから、11年近く経ちました。
大変残念な結果ですが、私たちは引き続き、八ッ場ダムの不当性、不要性を訴えていく所存ですので、よろしくお願いいたします。
現状については、八ッ場あしたの会のHPに、最高裁の決定についての記事、ニュースと解説が掲載されていますので、そちらをご覧ください。
http://yamba-net.org/
なお、私たち、八ッ場千葉の会では、判決に対して意思表示をすることとし、「抗議声明」を千葉県の報道機関、(千葉県広報を含む)に対し発信しました。
私たちの運動については、5都県のみなさんとも協議の上、ご提案する予定ですので、お待ちください。
八ッ場ダムをストップさせる千葉の会 共同代表 中村春子・村越啓雄
2015年9月11日
- 最高裁判所第三小法廷(岡部喜代子裁判長)は、本年9月8日付けで、八ッ場ダムに関する公金支出差止等請求住民訴訟(千葉事件)に対する決定を下した。決定は、上告を棄却する、上告審として受理しないという不当極まりないものであった。上告人兼上告受理申立人らは、最高裁に向けて、これまでに300頁を超える理由書と、第1ないし第5の5回にわたる理由補充書を提出し、控訴審である東京高裁判決の誤りを明らかにしてきた。しかるに、最高裁判所第三小法廷は、わずか数行の理由を述べるだけで上記の決定を行った。これは、最高裁に課せられた使命をかなぐり捨てるものであって、厳重に抗議する。
- 本事件の控訴審:東京高裁判決は、①判断枠組みとして、地方自治体の国に対する独立性を認めない、すなわち地方には国の判断を取り消す権限がないとして、国の判断に重大かつ明白な違法ないし瑕疵がない限り、違法と認めることはできない②八ッ場ダムの利水については千葉県の行った将来の水道需要予測及び水源評価は、直ちに合理性を欠くものとは認められない③治水については、原因行為が著しく合理性を欠き、そのために予算執行の適性確保の見地から看過できない瑕疵が存する場合でない限り、千葉県は支出する義務を負う④ダム建設に関する基本計画が無効であるという場合でなければ違法にならない、という一審千葉地裁判決と同じ判断枠組みに立って、国の主張を丸呑みにして本件支出命令が違法であるとは言えないとして請求を棄却したものであった。
- この度の最高裁の決定は、控訴審の判決の誤りをそのまま踏襲し、上告人兼上告受理申立人らの主張をまともに受け止めようとしないもので、行政がすすめる公共事業の無駄遣いを司法の立場でチェックしようとせず、むしろ無駄な公共事業を積極的に奨励するものにほかならない。
- 本件判決は司法の役割を放棄した不当な内容である。
折しも、今回の台風18号の鬼怒川堤防決壊による甚大な被害が発生したことは、八ッ場ダム等の大規模ダム建設を優先し堤防強化を後回しにしてきた結果にほかならない。「これまでの河川行政はダムによる治水を優先し、堤防の強化を後回しにしてきた。国が管理する鬼怒川クラスの川が決壊するのはまれ。人災という面はあると思う」と河川工学者である京都大学今本博健名誉教授はコメントしている。同氏や新潟大学大熊孝名誉教授など本訴訟は多くの学識者の知見に基づき、本訴訟を進めてきていることからも、最高裁決定を断じて認めることはできない。最高裁の理解を得られなかったことは非常に残念であり、司法のあり方の根幹が問われる重大な結果である。私たちはダム建設よりも堤防強化を優先して進めるべきとの主張を引き続き行い、住民の生命・財産を守る真の治水政策への転換を求め、闘い続けることを表明する。今後とも他県の住民訴訟の控訴人とともに手を携え、八ッ場ダムの不要性を訴えて活動していくことを表明する。今後とも皆様のご支援をお願いしたい。
八ッ場ダムをストップさせる千葉の会上告人団
共同代表 中村春子・村越啓雄
連絡先:043-486-1363(中村)
八ッ場ダムをストップさせる千葉の会弁護団
共同代表 中村春子・村越啓雄
連絡先:043-486-1363(中村)
八ッ場ダムをストップさせる千葉の会弁護団
- [2015/09/13 03:48]
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高裁判決を受けて
八ッ場ダム千葉訴訟 東京高裁の超不当判決を受けて
判決言い渡しにあたって、101号大法廷の傍聴席もほぼ満席とすることができました。
県担当職員の傍聴者は、数を控えるよう申し入れをしたためか、ぐっと少ない人数で、3名ほど国交省職員とみられる顔もありました。
開廷前に、代表取材のTV撮りを2分間行い、午後4時定刻に加藤新太郎裁判長が主文を読み上げ、「棄却」、「却下」の声が聞き取れたが、あっけなく閉廷。
5都県からの応援も含めた原告団は速やかに裁判所を後にし、裁判所門前で「不当判決」の旗出しとともに、最高裁で闘っていくぞ、とシュプレヒコールをしました。
その後、弁護士会館に移り、及川弁護士が判決要旨を速読し、西島弁護士とともに東京判決よりひどい「超」不当判決であると、分かりやすい解説を受けましたが、参加者はこの怒りを早速、最高裁上告の委任状作成にぶつけた後、散会しました。
一方、弁護団は記者会見に向けて、別会場で判決文の評価・分析作業に入り、高橋弁護団長、大川副弁護団長、大木事務局長はじめ、群馬、東京、茨城から全体弁護団の皆さんが駆けつけてくれ、「東京高裁判決に対する抗議声明」をとりまとめました。
午後5時30分からの記者会見では、高橋弁護団長、千葉の中丸事務局長、広瀬弁護士
山口弁護士、村越原告代表が対応し、記者は司法記者会のほか、千葉からは東京新聞、朝日新聞、読売新聞の参加がありました。
原告団のコメントや質疑応答で印象に残った言葉から、順不同で一部ご紹介します。
◎弁護団より
・3月29日東京判決の判断枠組みをベースにした「極悪判決」
・事実認定が杜撰
・事実認定に造詣が深いといわれている加藤裁判長だっただけに完全に裏切られ
た。 怒りに震えている。
・治水面での根拠については非科学的な疑問に一切答えず、日本学術会議が国交省にお墨付きを与えたことをもって裁判所の結論としている。事実認定を正確にし、評価する司法の役割を果たしていない。
・事実認定をしないで権威による結論を尊重したのは、致命的欠陥。
・東京判決をフルコピーし、「国の納付通知に地方は従わなければならない」とした上意下達の枠組みを示した。
・治水面での不当性を詳細に分析した学者に対し、「専門外」と言い放ち、中身を評価しないのは卑怯だ。
◎原告代表より
・地裁から高裁までの9年間、手弁当で弁護活動を続けてくれた弁護団に心から感謝する。これこそ住民訴訟の神髄だ。一方、県は職員給与削減も行うほどの財政難にもかかわらず、700億円を支出する八ッ場ダムの具体的なメリットを示してこなかったのは遺憾だ。引き続き最高裁で闘う。
◎八ッ場ダムをストップさせる市民連絡会代表 嶋津さん
ひどい判決だ。内容だけでなく手抜きをした判決文で、内容は3月29日の東京訴訟の高裁判決の判断をほとんどそのまま踏襲し、東京訴訟87ページに対して、千葉訴訟は55ページしかない判決文だ。判断を示すテーマがかなり限られており、時間をかけずに判決を書いたのではないかと思われる。
加藤新太郎裁判長は著書が多く、法曹界では名が知られた裁判官で、ざっくばらんな性格なので、それなりの判断を示すのではないかと思ったが、全くの期待外れだった。
残念ながら、裁判官というものは行政の補完的存在でしかない、と感じられた判決だった。
判決要旨2013/10/30
http://www.yamba.sakura.ne.jp/shiryo/chiba_k/chiba_k_hanketsu_yoshi.pdf
2013年10月30日
八ッ場ダムをストップさせる千葉の会 事務局
八ッ場ダムをストップさせる千葉の会 事務局
判決言い渡しにあたって、101号大法廷の傍聴席もほぼ満席とすることができました。
県担当職員の傍聴者は、数を控えるよう申し入れをしたためか、ぐっと少ない人数で、3名ほど国交省職員とみられる顔もありました。
開廷前に、代表取材のTV撮りを2分間行い、午後4時定刻に加藤新太郎裁判長が主文を読み上げ、「棄却」、「却下」の声が聞き取れたが、あっけなく閉廷。
5都県からの応援も含めた原告団は速やかに裁判所を後にし、裁判所門前で「不当判決」の旗出しとともに、最高裁で闘っていくぞ、とシュプレヒコールをしました。
その後、弁護士会館に移り、及川弁護士が判決要旨を速読し、西島弁護士とともに東京判決よりひどい「超」不当判決であると、分かりやすい解説を受けましたが、参加者はこの怒りを早速、最高裁上告の委任状作成にぶつけた後、散会しました。
一方、弁護団は記者会見に向けて、別会場で判決文の評価・分析作業に入り、高橋弁護団長、大川副弁護団長、大木事務局長はじめ、群馬、東京、茨城から全体弁護団の皆さんが駆けつけてくれ、「東京高裁判決に対する抗議声明」をとりまとめました。
午後5時30分からの記者会見では、高橋弁護団長、千葉の中丸事務局長、広瀬弁護士
山口弁護士、村越原告代表が対応し、記者は司法記者会のほか、千葉からは東京新聞、朝日新聞、読売新聞の参加がありました。
原告団のコメントや質疑応答で印象に残った言葉から、順不同で一部ご紹介します。
◎弁護団より
・3月29日東京判決の判断枠組みをベースにした「極悪判決」
・事実認定が杜撰
・事実認定に造詣が深いといわれている加藤裁判長だっただけに完全に裏切られ
た。 怒りに震えている。
・治水面での根拠については非科学的な疑問に一切答えず、日本学術会議が国交省にお墨付きを与えたことをもって裁判所の結論としている。事実認定を正確にし、評価する司法の役割を果たしていない。
・事実認定をしないで権威による結論を尊重したのは、致命的欠陥。
・東京判決をフルコピーし、「国の納付通知に地方は従わなければならない」とした上意下達の枠組みを示した。
・治水面での不当性を詳細に分析した学者に対し、「専門外」と言い放ち、中身を評価しないのは卑怯だ。
◎原告代表より
・地裁から高裁までの9年間、手弁当で弁護活動を続けてくれた弁護団に心から感謝する。これこそ住民訴訟の神髄だ。一方、県は職員給与削減も行うほどの財政難にもかかわらず、700億円を支出する八ッ場ダムの具体的なメリットを示してこなかったのは遺憾だ。引き続き最高裁で闘う。
◎八ッ場ダムをストップさせる市民連絡会代表 嶋津さん
ひどい判決だ。内容だけでなく手抜きをした判決文で、内容は3月29日の東京訴訟の高裁判決の判断をほとんどそのまま踏襲し、東京訴訟87ページに対して、千葉訴訟は55ページしかない判決文だ。判断を示すテーマがかなり限られており、時間をかけずに判決を書いたのではないかと思われる。
加藤新太郎裁判長は著書が多く、法曹界では名が知られた裁判官で、ざっくばらんな性格なので、それなりの判断を示すのではないかと思ったが、全くの期待外れだった。
残念ながら、裁判官というものは行政の補完的存在でしかない、と感じられた判決だった。
判決要旨2013/10/30
http://www.yamba.sakura.ne.jp/shiryo/chiba_k/chiba_k_hanketsu_yoshi.pdf
- [2013/11/02 08:20]
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裁判の報告&判決日のお知らせ
7月17日(水)午後3時から、千葉の会の最終弁論がありました。
控訴人共同代表の中村春子さんが約10分間意見陳述をし、思いのたけを述べました。
その後、山口仁弁護士が「利水」、廣瀬理夫弁護士が「治水」、中丸素明弁護士が「まとめ」の意見陳述を3人で30分間行い、結審となりました。内容については、どうぞ「意見陳述書」をご覧になってください。
準備書面としては、大熊・嶋津証人の証言を受けて、第19(治水)、第20(利水)、第21(法的判断枠組)の3本を提出しました。
栃木の会の裁判と、もろにぶつかり傍聴の心配をしましたが、法廷に入りきれない程の方々に駆けつけていただきました。有り難うございました。わざわざ遠くからいらして、傍聴できず帰られた方には、本当に申し訳ありませんでした。
判決言い渡しは、下記の通り、大法廷で行われますので、全員傍聴できると思います。どうかまた傍聴にお出かけくださるよう、お願いいたします。
記
日時 10月30日(水)午後4時から
場所 東京高等裁判所101号大法廷
(丸の内線、日比谷線、千代田線、銀座線霞が関A1出口)
・傍聴券配布の都合上、午後3時30分までに裁判所前に集合。(抽選の場合もあります)
・裁判終了後の報告集会(場所未定)にも、是非ご参加お願い致します。
八ッ場ダム住民訴訟控訴人意見陳述書
(陳述者氏名をクリックすると記事中の該当陳述書に移動し、
「pdfファイル」をクリックすると陳述書がpdfファイルで開きます。)
控訴人共同代表 中村春子 / PDFファイル
控訴人ら 代理人 弁護士 山口仁 (利水) / PDFファイル
控訴人ら代理人 弁護士 廣瀬理夫 (治水) / PDFファイル
控訴人ら代理人 弁護士 中丸素明 (まとめ) / PDFファイル
控訴人陳述をいたします。千葉県佐倉市在住の中村春子です。
2004年9月の1337名による住民監査請求を経て、同年11月に51名の原告による住民訴訟に踏み切ってから、まもなく9年になります。
私が八ッ場ダム問題に関わったきっかけは、1980年代、私の住む佐倉市の水道水は地下水8割、表流水2割のおいしい水でしたが、八ッ場ダムができることにより、割合が逆転し、水道料金も値上がりすることへの疑問でした。
その後、1991年から3期12年間、佐倉市議会議員を務める中で、八ッ場ダム建設が内包する多くの問題を知り、地域からの問題提起をしてきました。
佐倉市議会では超党派で勉強会を重ね、2002年6月に、雨水の涵養を図りながら地下水の保全等を求めた「地下水採取に関し千葉県環境保全条例の見直しを求める意見書」を、2003年3月に、水需要を精査し水利権量の縮小を国に求めることを記した「八ッ場ダム事業の見直しを求める意見書」を提出しました。いづれも佐倉市議会で採択され、千葉県に提出されています。
住民訴訟提訴後も八ッ場ダム現地や利根川流域を幾度となく訪れ、学習しましたが、八ッ場ダム建設がもたらす多くの問題、貯水池周辺の地滑りの危険性、未来永劫続く強酸性水対策等々、巨額の税金の無駄遣いと取り戻すことのできない自然破壊など負の作用こそ見えても、それに見合う必要性は全く見られませんでした。また、八ッ場ダムは水不足が問題となる夏期は、洪水調節のため利水容量が四分の一まで減らされることもわかりました。
今後人口は減少し、社会構造が大きく変わるにもかかわらず、高度成長を夢見た60年前の計画を見直しもせず、あくまで過大な数値を追い求め、八ッ場ダムに固執する国、関係自治体、政・官・財の思惑は何でしょうか。八ッ場ダム事業は原発の推進と同根の、公共事業における政・官・学・業の癒着の構造そのものです。この悪しき慣習のために、孫子の世代が一銭たりとも負担することは許すことができません。
八ッ場ダムの利水及び治水上の不要性についての科学的論拠については、すべての書面を提出してあります。そして6月3日の原告側証人尋問で、大熊証人と嶋津証人から、治水、利水における国のごまかしや被控訴人である自治体の不作為が、両証人の身についた専門性の高さから目に見える形で示されました。パワーポイントの使用により、市民にもわかる形での尋問が実現し、許可くださいました裁判所のご配慮に感謝申し上げたいと思います。
次に、八ッ場ダム問題が大いなる欺瞞の上に成り立つ事業であることを国交省自らが示した事実を述べます。それは、八ッ場ダムの上位計画でありながら今まで策定されていなかった「利根川・江戸川河川整備計画」を策定する有識者会議の様子です。この会議で明らかにされたことがいくつかあります。
八ッ場ダム建設の根拠であるカスリーン台風の実績流量、想定流量、それに基づいたデータも虚偽であり、捏造だったこと等です。 有識者会議でこれらを指摘した大熊委員や関委員の質問や提案に対し、国土交通省もその意をくんだ学者らも、答えられない状態でした。そして、質問や提案があるたびに、役人は「ここはご意見をいただく場であり、何かを決める場ではありません」と繰り返していました。
この河川整備計画を策定する有識者会議は、2006年から2008年まで4回行われ、その後理由も示されず4年間休止し、昨年秋から3回実施されましたが、その後9回連続で予定が中止されました。
その後の3回の会議では、激論があったにもかかわらず、何も解決されないまま、国土交通省から4月24日に計画案が出され、関係自治体すべての異議なしの回答で、5月15日に計画が発表されました。
計画案に対する市民への公聴会やパブリックコメントで示された圧倒的多数の反対意見も無視した強引なやり方は、河川整備計画に八ッ場ダムを位置づけ、本体工事着工の理由づけをするためだと思われます。
私はすべての会議を傍聴いたしましたが、なりふりかまわないこれらの状況を見ていると、国交省はすでに国家的事業である八ッ場ダム計画が破綻していることを自覚しており、これらを隠ぺいするために数々の非民主的な強硬策をとっていると見てとれます。
この住民訴訟は、本日最終弁論を迎えましたが、被控訴人千葉県から出された準備書面(12)について、控訴人の側から反論いたします。
前回、千葉県は控訴人側証人に対する反対尋問を裁判長から促されても尋問できず、後に書面で提出する旨発言し、多くの批判を受けました。その場で反論すれば、控訴人側証人はすべて答えられたはずです。その後提出された書面は権威におもね、控訴人と証人に対して非礼極まりない暴言による反論でした。
一審と同様に、千葉県側伴代理人は「この問題は法律問題で決着させるべき事案であり、単に千葉県の住民というだけで何の正当性もない48名の住民が、その適否を左右できるようなものではなく、裁判を認めることさえ失当である」と述べています。これは、貴重な税金を無駄に使用してはならないという思いで、地方自治体のあるべき姿を求める住民の声に真摯に耳を傾けてくださった裁判所に対しても礼を失するものです。
千葉県代理人の発言の一部を紹介します。「この訴訟は誇大妄想的な非常識な判断である。」「東京判決もこの奇怪な訴訟を許容するもの」「控訴人の主張は河川工学的な意味をもたない単なる数字遊び」等々論理性のない悪口雑言の羅列でした。利害を異にする立場の論争ですから、主張の違いはあるにしても、論争の相手に対する敬意が全く感じられません。代理人は県民の税金で仕事をしているはずです。県民に対する失礼な、品位を欠いた発言は改めるべきです。
また、内容については、この訴訟の骨格である千葉県民にとって、著しい利益が何であるかなど、自ら調査した形跡は一切なく、すべて国の言い分をなぞるのみです。これは地方自治法における「地方自治の本旨」からかけ離れたものであり、自らの怠慢をこそ恥じるべきではないでしょうか。
最後に、裁判所におかれましては、民主主義の根幹である三権分立の一角である司法として、国や県の「裁量権」に委ねるのではなく、この八ッ場ダム問題について、歴史に耐える真実に基づいた主体的な判断をされるようお願いし、控訴人の意見陳述を終わります。
2013年(平成25年)7月17日
1、はじめに
控訴人ら代理人の山口です。
八ッ場ダムの利水において、かねてから言ってきたのは、その水受給予測が、不合理であるだけでなく、水道局、企業庁等が、不合理であることを承知で、意図的に需要を水増ししたりしていることでした。錦の御旗は、「安全サイド」「安定供給」といったマジックワードです。
この場を借りて、控訴人の主張を端的に指摘しておきたいと思います。最初に工業用水についてです。
2、工業用水について
工業用水について被控訴人は、企業と契約しているだけの水、すなわち契約水量を確保しなければならないという立ち場に立っています。
しかし、実際には長年、契約水量の4分の3ほどの水しか使われていないのです。
企業は、4分の3しか使っていないのに、全部についての料金を負担させられていることになります。経費削減から現在の料金体系を改め、使った量に応じて、支払えばよいように求めています。
さらには、今後も使う可能性のほとんどない水については契約水量から外してほしいとも当然考えます。
千葉県企業庁は、これに対し、言を左右にして、契約水量は今後の新規参入で増えこそすれ、減らないんだ、料金は施設等をつくるためにかかった費用を基に応分に負担してもらっており、簡単にいじれないんだと言っています。
しかし、いらない水を押し売りし続けていれば、企業の方がそっぽを向いてしまいます。
契約水量は横浜市の例を紹介したように減らせるわけだし、料金体系も企業庁自らが中期経営計画において、使った量に応じて増減できるように将来的に変えることを宣言しています。
企業庁は約束した以上、将来の水需要予測に関わらず、契約水量分の水を確保する必要があると言った言い方はしていていますが、契約水量を大幅に下回る需要予測はしにくいようで、実際には水需要予測を契約水量に近づけるべき操作を行なっています。
そのため、取水量ベースで算定した異常に低い75%前後の負荷率を採用しています。
千葉関連4地区間での水運用について嶋津証人が触れていましたが、ある地区の施設で取水ができなくなった際に、他地区でその分余分に取水し、配管を使って、その地区に回すことができるのです。
負荷率は、年間で一番多く水を使った日と1日平均使用量の比率ですが、一番多く使った日は地区ごとにもちろん違っており、地区ごとの一番多い日の使用量から、負荷率は算定されています。
他地区にまで水運用をすれば、当然、取水はその分大きくなります。地区ごとにまちまちな年間で一番多く使った日を足してしまえば、その分が二重にカウントされてしまいます、こうして算定された負荷率は不合理です。
さらに言えば、他地区にまわす必要があれば、取水はいつでも増やせるのです。取水は実は短期的には水需要と無関係に増減できます。取水した水を巨大な池でいったん浄水したりし、配水しているわけだから、取水と配水の間にはタイムラグがあるのです。そもそも短期的には需要を反映しない取水量ベースで負荷率を算定していること自体が不合理だと言えます。
負荷率を異常に低く設定することによって、需要予測は契約水量に近い数字になっていますが、実は将来も現在の実績どおり契約水量の4分の3ほどの需要しかないはずなのです。それは実績値のグラフが長年、横ばい状態を続けていることが物語っています。しかも、企業としては契約した分までは水を使おうと使うまいと、同じ料金を取られるので節水へのインセンティブが働かない状態のもとでの横ばいです。節水努力が企業の支出に反映されれば、さらに需要は減少するでしょう。
被控訴人は、八ッ場ダムの水源を利用する予定の地区ではこのままだと水が不足するといいますがそんなことはありません。現在足りていれば、将来も足ります。現在は、工業用水の水源が、水道用水に転用されているほどです。しかも、八ッ場ダムの水源利用が予定されている千葉関連4地区は互いに配水管でつながっており、必要があれば、他地区の水を運用できるのです。
保有水源についても利用量率を低く設定し、さらには千葉県営水道同様、第五次フルプランで各水源の供給可能量を従前の86%に下げるといった操作が行なわれています。
3、千葉県営水道について
千葉県営水道の話に移ります。
千葉県水道局は平成20年に新たな推計を出しました。水需要予測については各要素につき水増しをしていたのを、随分、控訴人が従前より主張していた予測、嶋津証人の予測に近づけました。
水道局の水需要予測の大幅な下方修正を可能にしたのは、水源からの供給量を最近20年間で2番目の渇水年というレトリックで実際以上に少なく見積もることによってでした。各水源の供給可能量が一気に86%に切り下げられました。需要における水増しの必要性が低くなったわけです。
1日最大給水量の需要予測が126万立米から、7年間で一気に111.3万立米に下がりました。その差は14万7000立米と、水道局が八ッ場ダムによって得る水源量12万0400立米を上回るものです。1人当たり生活用水、生活用水以外の有収水量、有収率、負荷率いずれも需要予測を低くする方向に数値が修正されています。これらの修正は7年間の実績値の積み重ねで説明できるものではありません。平成20年推計が平成13年の予測の不合理性を照らし出す形になっています。
ただ、嶋津証人の尋問のとおり、現在でも水需要予測は過大なのです。被控訴人は2025年まで人口が増え続けるとの前提に立ち予測をしていますが、少子高齢化が進んでいる日本で人口が延びることは考えられません。さらに、各人が使う水も年間を通じて平準化しています。夏であれば多く水を使うということもなくなってきているのです。多く水を使う時期に合わせて、普段から余分に水を用意しておく必要も低くなっており、さらに肝心の人口が減るので1日最大給水量の将来予測は現在より減少することになります。
ところが、被控訴人の予測値は、実績値の推移と裏腹にグラフの線が不自然な右肩上がりになってしまっている。
被控訴人は、控訴人側が増加要因を無視していると言いますが、実績値の動向は減少要因が増加要因を上回っていること、この傾向が今後も続くことを如実に物語っています。
実績値の動向と乖離した予測値を立て、なぜそれが乖離するのか原因を究明せずに計画値だから仕方ないと被控訴人が開き直るのは不合理です。
4、平成13年からわずか7年間で、その間に実績値の動向が変わったわけでもないのに、ダム1個分以上も需要予測を下方修正し、かつて無理な需要予測をしていたことを認めてしまったり、企業庁については契約水量に予測を無理やり合わせようとしたり、被控訴人は無知から不合理をしているのではありません。確信犯で、ダムは必要という結論ありきで、その結論に合わせた受給予測をしていることを控訴人は明らかにしてきました。被控訴人の予測値とは、ダム計画に合わせた計画値なのです。
5、最後に
水は大事だ、必要である、安定的に供給しなければならないといったことを錦の御旗にし、水増しした需要予測を重ねるのは、一方でダム計画に巨額の支出をするのが妥当かという経済的合理性、費用対効果の面を無視した立論です。
控訴審で、被控訴人は、付言とはいえ「利水の危機管理」という標目のもと、大災害の際は水が不足する、戦争等で輸入がストップすれば、食糧自給のため水が必要になるといった話を持ち出してきました。ここで語られているのは、とにかく水が必要だ、万が一、水がなくなったらどうするんだといった、費用対効果、経済的合理性などどこかへすっとんでしまった無際限なダム必要論にほかなりません。
被控訴人は、これを、水をめぐる世界的な問題を控訴人らに認識してもらいたいため、すなわち啓蒙的意図で書いたかのように言っていますが、訴訟で啓蒙の必要などありません。
被控訴人は、バーチャルウォーターという概念を持ち出します。牛肉一切れを生み出すのに、その飼料等のため大量の水が使われている。もし、国内で食料自給率をあげるという選択肢を残すのであれば、将来の人口減少を考慮しても決して水余りと言えない、「過去一時期の実績が少ないから新たな水源開発の必要はない」という発想は短絡的であると言っています。たとえ現在すでに水が余っていても、少子高齢化による人口減少があっても、水はもっともっと必要だと言いたいわけです。
また、たとえ負荷率を見込んで施設整備を行っていても、震災等災害時には県民や受水企業への給水能力が低下し、供給不足が生じる、「水源開発や施設は必要不可欠なものに絞れ」という発想は災害時の事を考慮しておらず妥当でないとも言っている。
しかし、利水面におけるダムの必要性は、実績値の動向に基づいた客観的な需給予測をしたうえで、費用対効果を考慮し、判断される必要があります。
2013(平成25)年7月17日
1 控訴人ら代理人の廣瀬です。
本件審理を終えるにあたり、この東京高等裁判所において取り調べら れた証拠、特に先日の大熊証人に対する尋問の結果などに基づき、控訴 人らの主張の内、治水関係について、意見を申し上げます。
2 結論から申し上げますと、この東京高等裁判所における証拠調べによ り、原判決である千葉地裁の判決の誤りが明らかになると共に、控訴人 らの主張が完全に裏付けられたと考えています。以下、簡略に申し上げ ます。
3 まず、本件訴訟の問題の1つは、千葉県が国からの納付通知に対して、 異議をとどめないで公金を支出したこと及び今後支出することが許されるのかどうかと言う問題です。
そして、この公金支出の違法性を巡る問題の大きな論点が、カスリー ン台風時の八斗島地点での最大流量が22,000㎥/秒であるかどう かでした。
と言うのは、国(カスリーン台風時の建設省、現在の国交省)は、カ スリーン台風時の最大流量を利根川水系の治水対策の目標とし、カスリ ーン台風規模の台風が再来しても大丈夫なように治水対策をすることにし、そのためには八ッ場ダムが必要であると説明していたところ、カスリーン台風時の八斗島地点におけるピーク流量が22,000㎥/秒であることを前提にしていたからです。
4 しかし、実際にカスリーン台風時の実測(一部推測)による八斗島地 点での流量は17,000㎥/秒(控訴人らは、この数字も疑問があり、 実際は15,000㎥/秒~16,000㎥/秒であると考えているこ とは既に主張している)であったことは国交省及び被控訴人千葉県らも 認めています。
そこで、国交省及び被控訴人千葉県は、実際にカスリーン台風当時、 八斗島地点を流れた流量は17,000㎥/秒であるが、それは、八斗 島地点の上流部で大きな「氾濫」があったことなどが原因で八斗島地点 での実際の流量が少なくなったのだ。現実に降った雨の量からすれば、 上流部で「大氾濫」がなければ八斗島地点には22,000㎥/秒の雨 量が流れているはずであるから、治水対策としては、22,000㎥/ 秒を基準にする必要がある、だから八ッ場ダムの建設が必要であると主 張していました。
しかし、この22,000㎥/秒を治水対策の前提とする主張につい ては、控訴人らは、以前から疑問視し、本件千葉地裁においても厳しく 批判してきました。
しかし、原審の千葉地裁は控訴人らの主張を受け入れず、控訴人ら敗 訴の判決を出しました。
5 ところが、この点については、実は、千葉地裁での判決後、この東京 高裁に控訴した後である平成22年に大きな出来事がありました。即ち 民主党政権への交代後である同年秋に当時の馬淵国交大臣が、「(それ まで国交省が当然のように主張していた)22,000㎥/秒と言う数 字について、「これまでの議論は、22,000㎥/秒ありきであって、 その算出根拠資料が見当たらない」と発言し、国交省に「ゼロベース」 での検討を指示するという事態が発生したのです。
即ち、国自身が、それまで主張していた22,000㎥/秒を根拠付 ける資料がないこと、謂わば自らの主張が虚構に基づくものであること を担当大臣自身が認めたのです。
国(国交省)が自民党政権下で何十年にも亘って、八ッ場ダム建設の 根拠としてきた基本数字(データ)が実は、それを基礎付ける資料もな く、算出根拠も示すことが出来ない代物であることが判明したのです。
この時点で、これまで22,000㎥/秒を前提に主張していた国及 び被控訴人千葉県の主張の誤りが、根拠のなさが明らかとなったのです。と同時に、原判決の誤りも明らかになりました。
6 そのため、その後大臣から「ゼロベース」での検討の指示を受けた国 交省が、あわてて根拠探しのために日本学術会議に検討を依頼しました。
この分科会及び有識者会議における審議の内容は、これまで控訴人ら が提出した各種書証で明らかなように、日本学術会議の分科会や有識者 会議において、大熊証人ら委員が、22,000㎥/秒と17,000 ㎥/秒との乖離の理由・根拠を何度となく問い質したのに対し、委員長 を始め、他の委員からも一切説明されることなく、22,000㎥/秒 という国交省の説明に「大きな誤りがない」との回答をし、日本学術会 議は、案の定、短期間での不十分な審議の上、国交省の意向に従い、「2 2,000㎥/秒」と言う、従前の国交省の主張にお墨付きを与えてし まいました。
7 しかし、この日本学術会議の結論についても、控訴人らは、当審にお いて詳細に主張・立証を繰り返し、①22,000㎥/秒が虚構の上に 立つ数字であり、何ら裏付けのない数字であることを明らかにし、②八 ッ場ダム建設によっても千葉県には殆ど治水上の利益がないことも明らかにしてきました。
8 そして、更に、先日実施された大熊証人の証言によって、これまで控 訴人らが主張してきた事実がより鮮明な形で明らかに裏付けられたので す。
大熊証人は、自ら何度も現場に足を運び、河川整備の実情を見分し、 それに基づく自らの研究の成果などを書面化し、この裁判において多く を証拠として提出しているほか、証人が委員として参加していた前に述 べた日本学術会議の分科会や有識者会議での議論を踏まえ、更には、本 年に入って有識者会議において国交省から提供された資料などを元に、 被控訴人の主張する「カスリーン台風時には八斗島地点上流部で大きな 氾濫があった」との事実を完全に否定されました。
例えば、22,000㎥/秒を裏付けるためにと国交省が有識者会議 に資料提供した「大氾濫図」の出鱈目さ、インチキさを指摘し、さすが に有識者会議でもこの「氾濫図」は根拠資料としては使用されず、無視 されることになった事実が明らかになりました。
また、大熊証人は、現場の地形や高低差などから考えて到底氾濫する ことがないような地域にも氾濫が発生したかのような国交省の図示に対 して具体的に地域を特定して氾濫を否定しました。
その論拠は明確であり、且つ合理的であったことは周知の通りであり ます。よって、カスリーン台風時には八斗島地点上流部において、「氾 濫がなかった」事実は否定しようのない事実であることが明確になりま した。
9 更に、大熊証人は、国交省が、22,000㎥/秒の理論的根拠とし て使用した、いわゆる貯留関数法の「新モデル」が、根拠のないもので あることも明らかにしました。
即ち、有識者会議において「新モデル」の正しさを裏付ける論拠とし て引用したいわゆる「東大モデル」などについても、その誤りを具体的、 詳細に証言されました。
例えば、いわゆる旧モデルという計算式で算出した流量数字が新モデ ルという計算式を使用し、その中の変数の1つである飽和雨量の係数を 旧モデルの一律48という数字から130~∞に変更したにもかかわらず、その結論としての流量数字が殆ど変更がなかったという不自然な結論を挙げるなどして、この「新モデル」による結論に疑問を呈しています。
また、大熊証人は、有識者会議が、「東大モデル」をもって、この「新 モデル」の結論を概ね正しいと根拠づけている点についても、詳細に反 論し、意見書を提出していますが、証言時は時間の関係から一事例しか 示せなかったものの、「新モデル」と「東大モデル」双方の雨量計算結 果に14%もの相違がある事実を挙げ、到底科学的な「正しい裏付けに はなっていない」と証言しています。
更に、大熊証人は、新モデルの計算式において、前に述べた飽和雨量 の変更だけを実施し、他の係数を「旧モデル」計算式の際の係数を使用 した場合には、控訴人らが主張している16,000㎥/秒に近づく事 実をも明らかにしています。
これら多くの大熊証言によって、国交省及び被控訴人千葉県が主張し ている22,000㎥/秒との主張は、全く根拠のない、空疎な主張で ある事実が一層明らかになりました。
10 大熊証人は、更に、国交省が依頼したコンサルタント会社が作成した 資料に基づき検討した結果として、八ッ場ダム建設によっても、千葉県 には、殆ど「治水上の利益がない」事実をも具体的に明らかにされまし た。
11 以上述べたように、この東京高等裁判所の審理において、控訴人らは、 被控訴人が主張する八ッ場ダムの治水上の必要性について、その虚構性 を具体的に暴露すると共に、事実と科学的手法により、明確に反論し。 控訴人の主張の正しさを証明しました。
12 裁判所におかれては、是非これらの事実を虚心坦懐に眺め、その事実 の持つ重みを十分吟味し、科学的手法に基づく、合理的司法判断をし、 歴史の批判に耐えられる判決を出して下さるよう希望して、治水に関する代理人としての意見陳述を終えます。
2013年7月17日
控訴人ら代理人の中丸です。結審にあたって、一言意見を述べさせていただきます。
1 私が、とりわけ申し上げたいことは、次のことに尽きます。すなわち、この訴訟の意義を十分にご理解いただいたうえで、この事件の実体審理を通じて明らかになった主要な事実を、予断を排して、政治的な動向に左右されることなく、証拠に基づいてキチンと事実認定していただきたい。「釈迦に説法」であることを承知の上で申し上げれば、「国が決めたものだから間違いないであろう」といった原判決が陥った誤り、予断・迎合を厳しく排し、あくまでも客観的・科学的見地を貫いて、事実をみていただきたい。その上で、あるべき妥当な判断枠組みのもとで、万人が「なるほど」と納得できるような合理的な判断を下していただきたい、ということです。結論は、自ずから見えてくるはずです。
2「公共事業は、一旦動き出したら止まらない」と指摘されるようになってから、既に久しいものがあります。この国の、民主主義の成熟度合いの問題でもありましょう。国際的視野で見るならば、恥ずべきことです。 八ッ場ダム建設事業は、その典型例とされてきました。
このダム事業計画が浮上したのは、1952年(昭和27年)5月のことでした。実に60年以上も前のことです。いま、関係する1都5県の住民が、その巨額の公金支出が違法・無効だとして、一斉に住民訴訟を提起し、争われています。国土交通省をはじめとするこの事業の推進者らが、いかに声高にダムの必要性を叫ぼうとも、どれほど科学的な装いをこらそうとも、治水すなわち洪水防止効果の面においても、利水:必要な生活用水の確保の面からも、全く無駄なダムであることが、客観的、科学的に明らかになっています。とりわけ、この訴訟の最終盤における大熊孝証人による治水に関する証言は、この国の長年にわたる河川政策の決定的な誤りを明らかにするものでした。また、嶋津暉之証人による利水に関する証言も、千葉県にとって八ッ場ダムが全く不要であることを、一審後の実績値・データなどに基づいて、さらに明らかにするものでした。そればかりではありません。この無駄なダム事業の代償として、「関東の耶馬溪」と称される程の景観美を誇る吾妻渓谷、多くの人々を癒し続けてきた川原湯温泉が、ダムの底に沈められようとしているのです。
3 ダムを建設するかどうかは、高度の政策決定に属する事柄といえましょう。そこには、一定の裁量が認められることも、いわば当然のことです。また、関係地方公共団体が、ダム建設のために公金を支出するかどうか、言い換えればその事業に参画するかどうかについても、ある程度の裁量に委ねられることも否定しません。しかしながら、その裁量権も無限定のものではないことも、地方財政法等の規定をまつまでもなく、当然すぎるほど当然のことであります。では、本住民訴訟において、司法審査の判断基準はどうあるべきでしょうか。
本件において、支出負担行為を違法と評価するか否かの審査基準は、「著しく合理性を欠き、予算執行の適正確保の見地から看過し得ない瑕疵を有している」か否かによるべきです(準備書面(21))。そして、その判断にあっては、小田急事件最高裁判決(最判平17・12・7)が示した基準を基本とするべきです。
小田急事件において、最高裁は、次の場合には行政の裁量を逸脱する、すなわち違法となるとして、司法審査の判断基準を示しました。この判決は、都市計画事業の認可取消請求事案に関するものですが、この判決が示した判断基準は、広く普遍性を有するものといえます。この最高裁判決が示した裁量権の逸脱にあたる場合とは、一つには「その基礎とされた重要な事実に誤認があること等により重要な事実の基礎を欠くことになる場合」であります。また今一つは、「事実に対する評価が明らかに合理性を欠くこと、判断の過程において考慮すべき事情を考慮しないこと等によりその内容が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くものと認められる場合」であります。
この判断基準に則していえば、本件においても次のことがチェックされ、そして判断の基礎とされなければならないことになります。
①その基礎とされた重要な事実に誤認がないかどうか
②そのことによって、重要な事実の基礎を欠くことになってはいないか
③事実に関する評価は合理的になされているかどうか
④判断の過程において、考慮すべき事実・事情が過不足なく考慮されているか、逆に、考慮すべきではない事実・事情を考慮してはいないかどうか
⑤その結果、社会通念上妥当性を欠く結果に陥ってはいないかどうか
このような観点から、主要な事実を冷徹に見るならば、基礎となった重要な事実に誤認が数多くあるなど、本件支出が社会通念上妥当性を欠き、違法・無効であるとの結論を導き出すことは、実に容易なことです。
4 具体的な問題に入る時間がありませんので、私からは、利水及び治水に関して決定的に重要な事実を一つずつ取り上げるに止めます。
まず、利水についてですが、ただいま相代理人が述べたとおりです。巨額を投じて生活用水・工業用水をさらに確保することが必要かどうかが問われているのです。ですから、現状で水不足があるのかに加え、そして将来深刻な水不足が生じる可能性があるのか、という正確な需給予測が何よりも重要です。千葉県の場合どうだったでしょうか。もっとも重要な指標とされる1日最大給水量でみてみましょう。千葉県水道局が平成13年に行った需要予測。県営水道に関しては、この時の予測を根拠に八ッ場ダム事業への参画を決めました。この予測では、平成20年度は126万立方メートルとされたのです。ところが、平成20年にやり直した予測では、この年度は111・3万立方メートルへと、一挙に14万7000立方メートルも下方修正せざるを得ませんでした。相代理人も述べたとおり、八ッ場ダムによって12万0400立方メートルの水源を確保する計画でしたから、わずか7年の間に、その分を上回る下方修正をせざるを得なかったのです。すなわち、平成13年に20年予測と同様の需要予測をしていれば、八ッ場ダム事業に参画する必要は全くなかったのです。13年予測自体、当初から非科学的な、あえて言わせていただくならば「馬鹿げた」ものでした。何故なのか。当局は、それほど無能なのか、あるいは作為的なものだったか、そのいずれかしかあり得ません。有能な職員各位のことですから、無能と言うことはないでしょう。だとすれば、意図的な、ダムを造らんがための作為であって、科学的な予測とは無縁の代物だったと断じざるを得ません。
5 治水に関しても、一つだけ取り上げておきます。降雨と流出の関係づけを行う作業は、流出解析とよばれています。国土交通省はいくつかの手法の中から、長年にわたってその多くを「貯留関数法」と呼ばれる手法を用いて行ってきました。その「貯留関数法」という流出解析モデルが、最近になって、全くの非科学的なものであったことが露呈してしまったのです。冨永靖徳:お茶の水大学名誉教授の言葉をお借りすれば、それは「科学」(サイエンス)の名に値するものではなく、「魔術」(マジック)とでも称するしかない代物にすぎないことが暴露されたのです。このことが確認されるに至った経過についての詳述は避けますが、国土交通省は、1961年に貯留関数法が提案されて以来、治水政策を策定するための流出解析の多くを、この手法を用いて行ってきました。恐るべきことではないでしょうか。これまで長い期間にわたって、科学性を欠き、いくらでも恣意が介在しうる方法で解析された事実を基に、治水行政が進められてきたのですから。これは、八ッ場ダムだけの問題ではなく、1960年代以降のダム建設計画を含む治水政策を総点検する必要が出てきたことを示しています。
6 最後に
私達人類の愚かな営みにもかかわらず、吾妻渓谷は、まだ厳として存在しています。川原湯は、絶えることなく豊かな温泉をいまも湧出しています。幸いにも、今なら過ちを正すのに、まだ間にあいます。ただ、そのために残された時間は、あまりにも少ないのです。
テレビドラマでみる会津藩ではありませんが、「ならぬものはならぬ」「駄目なものは駄目」なのです。これ以上、この国の為政者達の、恣意、放漫、自堕落を許してはなりません。
貴裁判所におかれては、司法に託された崇高な使命に基づいて、事実を直視し、厳正な判決を下されたい。そのことが、ひいては利権構造で「がんじがらめ」になったこの国の、ねじ曲がった河川政策と公共工事のあり方を糾し、本当の意味での国民・住民のために役に立つ河川行政に舵をきらせることにもつながるでしょう。
そのことを切望して、結審するにあたっての意見陳述といたします。
控訴人共同代表の中村春子さんが約10分間意見陳述をし、思いのたけを述べました。
その後、山口仁弁護士が「利水」、廣瀬理夫弁護士が「治水」、中丸素明弁護士が「まとめ」の意見陳述を3人で30分間行い、結審となりました。内容については、どうぞ「意見陳述書」をご覧になってください。
準備書面としては、大熊・嶋津証人の証言を受けて、第19(治水)、第20(利水)、第21(法的判断枠組)の3本を提出しました。
栃木の会の裁判と、もろにぶつかり傍聴の心配をしましたが、法廷に入りきれない程の方々に駆けつけていただきました。有り難うございました。わざわざ遠くからいらして、傍聴できず帰られた方には、本当に申し訳ありませんでした。
判決言い渡しは、下記の通り、大法廷で行われますので、全員傍聴できると思います。どうかまた傍聴にお出かけくださるよう、お願いいたします。
記
日時 10月30日(水)午後4時から
場所 東京高等裁判所101号大法廷
(丸の内線、日比谷線、千代田線、銀座線霞が関A1出口)
・傍聴券配布の都合上、午後3時30分までに裁判所前に集合。(抽選の場合もあります)
・裁判終了後の報告集会(場所未定)にも、是非ご参加お願い致します。
八ッ場ダム住民訴訟控訴人意見陳述書
(陳述者氏名をクリックすると記事中の該当陳述書に移動し、
「pdfファイル」をクリックすると陳述書がpdfファイルで開きます。)
控訴人共同代表 中村春子 / PDFファイル
控訴人ら 代理人 弁護士 山口仁 (利水) / PDFファイル
控訴人ら代理人 弁護士 廣瀬理夫 (治水) / PDFファイル
控訴人ら代理人 弁護士 中丸素明 (まとめ) / PDFファイル
八ッ場ダム住民訴訟控訴人意見陳述書
控訴人 中村春子
控訴人陳述をいたします。千葉県佐倉市在住の中村春子です。
2004年9月の1337名による住民監査請求を経て、同年11月に51名の原告による住民訴訟に踏み切ってから、まもなく9年になります。
私が八ッ場ダム問題に関わったきっかけは、1980年代、私の住む佐倉市の水道水は地下水8割、表流水2割のおいしい水でしたが、八ッ場ダムができることにより、割合が逆転し、水道料金も値上がりすることへの疑問でした。
その後、1991年から3期12年間、佐倉市議会議員を務める中で、八ッ場ダム建設が内包する多くの問題を知り、地域からの問題提起をしてきました。
佐倉市議会では超党派で勉強会を重ね、2002年6月に、雨水の涵養を図りながら地下水の保全等を求めた「地下水採取に関し千葉県環境保全条例の見直しを求める意見書」を、2003年3月に、水需要を精査し水利権量の縮小を国に求めることを記した「八ッ場ダム事業の見直しを求める意見書」を提出しました。いづれも佐倉市議会で採択され、千葉県に提出されています。
住民訴訟提訴後も八ッ場ダム現地や利根川流域を幾度となく訪れ、学習しましたが、八ッ場ダム建設がもたらす多くの問題、貯水池周辺の地滑りの危険性、未来永劫続く強酸性水対策等々、巨額の税金の無駄遣いと取り戻すことのできない自然破壊など負の作用こそ見えても、それに見合う必要性は全く見られませんでした。また、八ッ場ダムは水不足が問題となる夏期は、洪水調節のため利水容量が四分の一まで減らされることもわかりました。
今後人口は減少し、社会構造が大きく変わるにもかかわらず、高度成長を夢見た60年前の計画を見直しもせず、あくまで過大な数値を追い求め、八ッ場ダムに固執する国、関係自治体、政・官・財の思惑は何でしょうか。八ッ場ダム事業は原発の推進と同根の、公共事業における政・官・学・業の癒着の構造そのものです。この悪しき慣習のために、孫子の世代が一銭たりとも負担することは許すことができません。
八ッ場ダムの利水及び治水上の不要性についての科学的論拠については、すべての書面を提出してあります。そして6月3日の原告側証人尋問で、大熊証人と嶋津証人から、治水、利水における国のごまかしや被控訴人である自治体の不作為が、両証人の身についた専門性の高さから目に見える形で示されました。パワーポイントの使用により、市民にもわかる形での尋問が実現し、許可くださいました裁判所のご配慮に感謝申し上げたいと思います。
次に、八ッ場ダム問題が大いなる欺瞞の上に成り立つ事業であることを国交省自らが示した事実を述べます。それは、八ッ場ダムの上位計画でありながら今まで策定されていなかった「利根川・江戸川河川整備計画」を策定する有識者会議の様子です。この会議で明らかにされたことがいくつかあります。
八ッ場ダム建設の根拠であるカスリーン台風の実績流量、想定流量、それに基づいたデータも虚偽であり、捏造だったこと等です。 有識者会議でこれらを指摘した大熊委員や関委員の質問や提案に対し、国土交通省もその意をくんだ学者らも、答えられない状態でした。そして、質問や提案があるたびに、役人は「ここはご意見をいただく場であり、何かを決める場ではありません」と繰り返していました。
この河川整備計画を策定する有識者会議は、2006年から2008年まで4回行われ、その後理由も示されず4年間休止し、昨年秋から3回実施されましたが、その後9回連続で予定が中止されました。
その後の3回の会議では、激論があったにもかかわらず、何も解決されないまま、国土交通省から4月24日に計画案が出され、関係自治体すべての異議なしの回答で、5月15日に計画が発表されました。
計画案に対する市民への公聴会やパブリックコメントで示された圧倒的多数の反対意見も無視した強引なやり方は、河川整備計画に八ッ場ダムを位置づけ、本体工事着工の理由づけをするためだと思われます。
私はすべての会議を傍聴いたしましたが、なりふりかまわないこれらの状況を見ていると、国交省はすでに国家的事業である八ッ場ダム計画が破綻していることを自覚しており、これらを隠ぺいするために数々の非民主的な強硬策をとっていると見てとれます。
この住民訴訟は、本日最終弁論を迎えましたが、被控訴人千葉県から出された準備書面(12)について、控訴人の側から反論いたします。
前回、千葉県は控訴人側証人に対する反対尋問を裁判長から促されても尋問できず、後に書面で提出する旨発言し、多くの批判を受けました。その場で反論すれば、控訴人側証人はすべて答えられたはずです。その後提出された書面は権威におもね、控訴人と証人に対して非礼極まりない暴言による反論でした。
一審と同様に、千葉県側伴代理人は「この問題は法律問題で決着させるべき事案であり、単に千葉県の住民というだけで何の正当性もない48名の住民が、その適否を左右できるようなものではなく、裁判を認めることさえ失当である」と述べています。これは、貴重な税金を無駄に使用してはならないという思いで、地方自治体のあるべき姿を求める住民の声に真摯に耳を傾けてくださった裁判所に対しても礼を失するものです。
千葉県代理人の発言の一部を紹介します。「この訴訟は誇大妄想的な非常識な判断である。」「東京判決もこの奇怪な訴訟を許容するもの」「控訴人の主張は河川工学的な意味をもたない単なる数字遊び」等々論理性のない悪口雑言の羅列でした。利害を異にする立場の論争ですから、主張の違いはあるにしても、論争の相手に対する敬意が全く感じられません。代理人は県民の税金で仕事をしているはずです。県民に対する失礼な、品位を欠いた発言は改めるべきです。
また、内容については、この訴訟の骨格である千葉県民にとって、著しい利益が何であるかなど、自ら調査した形跡は一切なく、すべて国の言い分をなぞるのみです。これは地方自治法における「地方自治の本旨」からかけ離れたものであり、自らの怠慢をこそ恥じるべきではないでしょうか。
最後に、裁判所におかれましては、民主主義の根幹である三権分立の一角である司法として、国や県の「裁量権」に委ねるのではなく、この八ッ場ダム問題について、歴史に耐える真実に基づいた主体的な判断をされるようお願いし、控訴人の意見陳述を終わります。
意見陳述書
2013年(平成25年)7月17日
控訴人ら代理人 弁護士 山口 仁
1、はじめに
控訴人ら代理人の山口です。
八ッ場ダムの利水において、かねてから言ってきたのは、その水受給予測が、不合理であるだけでなく、水道局、企業庁等が、不合理であることを承知で、意図的に需要を水増ししたりしていることでした。錦の御旗は、「安全サイド」「安定供給」といったマジックワードです。
この場を借りて、控訴人の主張を端的に指摘しておきたいと思います。最初に工業用水についてです。
2、工業用水について
工業用水について被控訴人は、企業と契約しているだけの水、すなわち契約水量を確保しなければならないという立ち場に立っています。
しかし、実際には長年、契約水量の4分の3ほどの水しか使われていないのです。
企業は、4分の3しか使っていないのに、全部についての料金を負担させられていることになります。経費削減から現在の料金体系を改め、使った量に応じて、支払えばよいように求めています。
さらには、今後も使う可能性のほとんどない水については契約水量から外してほしいとも当然考えます。
千葉県企業庁は、これに対し、言を左右にして、契約水量は今後の新規参入で増えこそすれ、減らないんだ、料金は施設等をつくるためにかかった費用を基に応分に負担してもらっており、簡単にいじれないんだと言っています。
しかし、いらない水を押し売りし続けていれば、企業の方がそっぽを向いてしまいます。
契約水量は横浜市の例を紹介したように減らせるわけだし、料金体系も企業庁自らが中期経営計画において、使った量に応じて増減できるように将来的に変えることを宣言しています。
企業庁は約束した以上、将来の水需要予測に関わらず、契約水量分の水を確保する必要があると言った言い方はしていていますが、契約水量を大幅に下回る需要予測はしにくいようで、実際には水需要予測を契約水量に近づけるべき操作を行なっています。
そのため、取水量ベースで算定した異常に低い75%前後の負荷率を採用しています。
千葉関連4地区間での水運用について嶋津証人が触れていましたが、ある地区の施設で取水ができなくなった際に、他地区でその分余分に取水し、配管を使って、その地区に回すことができるのです。
負荷率は、年間で一番多く水を使った日と1日平均使用量の比率ですが、一番多く使った日は地区ごとにもちろん違っており、地区ごとの一番多い日の使用量から、負荷率は算定されています。
他地区にまで水運用をすれば、当然、取水はその分大きくなります。地区ごとにまちまちな年間で一番多く使った日を足してしまえば、その分が二重にカウントされてしまいます、こうして算定された負荷率は不合理です。
さらに言えば、他地区にまわす必要があれば、取水はいつでも増やせるのです。取水は実は短期的には水需要と無関係に増減できます。取水した水を巨大な池でいったん浄水したりし、配水しているわけだから、取水と配水の間にはタイムラグがあるのです。そもそも短期的には需要を反映しない取水量ベースで負荷率を算定していること自体が不合理だと言えます。
負荷率を異常に低く設定することによって、需要予測は契約水量に近い数字になっていますが、実は将来も現在の実績どおり契約水量の4分の3ほどの需要しかないはずなのです。それは実績値のグラフが長年、横ばい状態を続けていることが物語っています。しかも、企業としては契約した分までは水を使おうと使うまいと、同じ料金を取られるので節水へのインセンティブが働かない状態のもとでの横ばいです。節水努力が企業の支出に反映されれば、さらに需要は減少するでしょう。
被控訴人は、八ッ場ダムの水源を利用する予定の地区ではこのままだと水が不足するといいますがそんなことはありません。現在足りていれば、将来も足ります。現在は、工業用水の水源が、水道用水に転用されているほどです。しかも、八ッ場ダムの水源利用が予定されている千葉関連4地区は互いに配水管でつながっており、必要があれば、他地区の水を運用できるのです。
保有水源についても利用量率を低く設定し、さらには千葉県営水道同様、第五次フルプランで各水源の供給可能量を従前の86%に下げるといった操作が行なわれています。
3、千葉県営水道について
千葉県営水道の話に移ります。
千葉県水道局は平成20年に新たな推計を出しました。水需要予測については各要素につき水増しをしていたのを、随分、控訴人が従前より主張していた予測、嶋津証人の予測に近づけました。
水道局の水需要予測の大幅な下方修正を可能にしたのは、水源からの供給量を最近20年間で2番目の渇水年というレトリックで実際以上に少なく見積もることによってでした。各水源の供給可能量が一気に86%に切り下げられました。需要における水増しの必要性が低くなったわけです。
1日最大給水量の需要予測が126万立米から、7年間で一気に111.3万立米に下がりました。その差は14万7000立米と、水道局が八ッ場ダムによって得る水源量12万0400立米を上回るものです。1人当たり生活用水、生活用水以外の有収水量、有収率、負荷率いずれも需要予測を低くする方向に数値が修正されています。これらの修正は7年間の実績値の積み重ねで説明できるものではありません。平成20年推計が平成13年の予測の不合理性を照らし出す形になっています。
ただ、嶋津証人の尋問のとおり、現在でも水需要予測は過大なのです。被控訴人は2025年まで人口が増え続けるとの前提に立ち予測をしていますが、少子高齢化が進んでいる日本で人口が延びることは考えられません。さらに、各人が使う水も年間を通じて平準化しています。夏であれば多く水を使うということもなくなってきているのです。多く水を使う時期に合わせて、普段から余分に水を用意しておく必要も低くなっており、さらに肝心の人口が減るので1日最大給水量の将来予測は現在より減少することになります。
ところが、被控訴人の予測値は、実績値の推移と裏腹にグラフの線が不自然な右肩上がりになってしまっている。
被控訴人は、控訴人側が増加要因を無視していると言いますが、実績値の動向は減少要因が増加要因を上回っていること、この傾向が今後も続くことを如実に物語っています。
実績値の動向と乖離した予測値を立て、なぜそれが乖離するのか原因を究明せずに計画値だから仕方ないと被控訴人が開き直るのは不合理です。
4、平成13年からわずか7年間で、その間に実績値の動向が変わったわけでもないのに、ダム1個分以上も需要予測を下方修正し、かつて無理な需要予測をしていたことを認めてしまったり、企業庁については契約水量に予測を無理やり合わせようとしたり、被控訴人は無知から不合理をしているのではありません。確信犯で、ダムは必要という結論ありきで、その結論に合わせた受給予測をしていることを控訴人は明らかにしてきました。被控訴人の予測値とは、ダム計画に合わせた計画値なのです。
5、最後に
水は大事だ、必要である、安定的に供給しなければならないといったことを錦の御旗にし、水増しした需要予測を重ねるのは、一方でダム計画に巨額の支出をするのが妥当かという経済的合理性、費用対効果の面を無視した立論です。
控訴審で、被控訴人は、付言とはいえ「利水の危機管理」という標目のもと、大災害の際は水が不足する、戦争等で輸入がストップすれば、食糧自給のため水が必要になるといった話を持ち出してきました。ここで語られているのは、とにかく水が必要だ、万が一、水がなくなったらどうするんだといった、費用対効果、経済的合理性などどこかへすっとんでしまった無際限なダム必要論にほかなりません。
被控訴人は、これを、水をめぐる世界的な問題を控訴人らに認識してもらいたいため、すなわち啓蒙的意図で書いたかのように言っていますが、訴訟で啓蒙の必要などありません。
被控訴人は、バーチャルウォーターという概念を持ち出します。牛肉一切れを生み出すのに、その飼料等のため大量の水が使われている。もし、国内で食料自給率をあげるという選択肢を残すのであれば、将来の人口減少を考慮しても決して水余りと言えない、「過去一時期の実績が少ないから新たな水源開発の必要はない」という発想は短絡的であると言っています。たとえ現在すでに水が余っていても、少子高齢化による人口減少があっても、水はもっともっと必要だと言いたいわけです。
また、たとえ負荷率を見込んで施設整備を行っていても、震災等災害時には県民や受水企業への給水能力が低下し、供給不足が生じる、「水源開発や施設は必要不可欠なものに絞れ」という発想は災害時の事を考慮しておらず妥当でないとも言っている。
しかし、利水面におけるダムの必要性は、実績値の動向に基づいた客観的な需給予測をしたうえで、費用対効果を考慮し、判断される必要があります。
以 上
意見陳述書
2013(平成25)年7月17日
控訴人ら代理人 弁護士廣瀬理夫
記
1 控訴人ら代理人の廣瀬です。
本件審理を終えるにあたり、この東京高等裁判所において取り調べら れた証拠、特に先日の大熊証人に対する尋問の結果などに基づき、控訴 人らの主張の内、治水関係について、意見を申し上げます。
2 結論から申し上げますと、この東京高等裁判所における証拠調べによ り、原判決である千葉地裁の判決の誤りが明らかになると共に、控訴人 らの主張が完全に裏付けられたと考えています。以下、簡略に申し上げ ます。
3 まず、本件訴訟の問題の1つは、千葉県が国からの納付通知に対して、 異議をとどめないで公金を支出したこと及び今後支出することが許されるのかどうかと言う問題です。
そして、この公金支出の違法性を巡る問題の大きな論点が、カスリー ン台風時の八斗島地点での最大流量が22,000㎥/秒であるかどう かでした。
と言うのは、国(カスリーン台風時の建設省、現在の国交省)は、カ スリーン台風時の最大流量を利根川水系の治水対策の目標とし、カスリ ーン台風規模の台風が再来しても大丈夫なように治水対策をすることにし、そのためには八ッ場ダムが必要であると説明していたところ、カスリーン台風時の八斗島地点におけるピーク流量が22,000㎥/秒であることを前提にしていたからです。
4 しかし、実際にカスリーン台風時の実測(一部推測)による八斗島地 点での流量は17,000㎥/秒(控訴人らは、この数字も疑問があり、 実際は15,000㎥/秒~16,000㎥/秒であると考えているこ とは既に主張している)であったことは国交省及び被控訴人千葉県らも 認めています。
そこで、国交省及び被控訴人千葉県は、実際にカスリーン台風当時、 八斗島地点を流れた流量は17,000㎥/秒であるが、それは、八斗 島地点の上流部で大きな「氾濫」があったことなどが原因で八斗島地点 での実際の流量が少なくなったのだ。現実に降った雨の量からすれば、 上流部で「大氾濫」がなければ八斗島地点には22,000㎥/秒の雨 量が流れているはずであるから、治水対策としては、22,000㎥/ 秒を基準にする必要がある、だから八ッ場ダムの建設が必要であると主 張していました。
しかし、この22,000㎥/秒を治水対策の前提とする主張につい ては、控訴人らは、以前から疑問視し、本件千葉地裁においても厳しく 批判してきました。
しかし、原審の千葉地裁は控訴人らの主張を受け入れず、控訴人ら敗 訴の判決を出しました。
5 ところが、この点については、実は、千葉地裁での判決後、この東京 高裁に控訴した後である平成22年に大きな出来事がありました。即ち 民主党政権への交代後である同年秋に当時の馬淵国交大臣が、「(それ まで国交省が当然のように主張していた)22,000㎥/秒と言う数 字について、「これまでの議論は、22,000㎥/秒ありきであって、 その算出根拠資料が見当たらない」と発言し、国交省に「ゼロベース」 での検討を指示するという事態が発生したのです。
即ち、国自身が、それまで主張していた22,000㎥/秒を根拠付 ける資料がないこと、謂わば自らの主張が虚構に基づくものであること を担当大臣自身が認めたのです。
国(国交省)が自民党政権下で何十年にも亘って、八ッ場ダム建設の 根拠としてきた基本数字(データ)が実は、それを基礎付ける資料もな く、算出根拠も示すことが出来ない代物であることが判明したのです。
この時点で、これまで22,000㎥/秒を前提に主張していた国及 び被控訴人千葉県の主張の誤りが、根拠のなさが明らかとなったのです。と同時に、原判決の誤りも明らかになりました。
6 そのため、その後大臣から「ゼロベース」での検討の指示を受けた国 交省が、あわてて根拠探しのために日本学術会議に検討を依頼しました。
この分科会及び有識者会議における審議の内容は、これまで控訴人ら が提出した各種書証で明らかなように、日本学術会議の分科会や有識者 会議において、大熊証人ら委員が、22,000㎥/秒と17,000 ㎥/秒との乖離の理由・根拠を何度となく問い質したのに対し、委員長 を始め、他の委員からも一切説明されることなく、22,000㎥/秒 という国交省の説明に「大きな誤りがない」との回答をし、日本学術会 議は、案の定、短期間での不十分な審議の上、国交省の意向に従い、「2 2,000㎥/秒」と言う、従前の国交省の主張にお墨付きを与えてし まいました。
7 しかし、この日本学術会議の結論についても、控訴人らは、当審にお いて詳細に主張・立証を繰り返し、①22,000㎥/秒が虚構の上に 立つ数字であり、何ら裏付けのない数字であることを明らかにし、②八 ッ場ダム建設によっても千葉県には殆ど治水上の利益がないことも明らかにしてきました。
8 そして、更に、先日実施された大熊証人の証言によって、これまで控 訴人らが主張してきた事実がより鮮明な形で明らかに裏付けられたので す。
大熊証人は、自ら何度も現場に足を運び、河川整備の実情を見分し、 それに基づく自らの研究の成果などを書面化し、この裁判において多く を証拠として提出しているほか、証人が委員として参加していた前に述 べた日本学術会議の分科会や有識者会議での議論を踏まえ、更には、本 年に入って有識者会議において国交省から提供された資料などを元に、 被控訴人の主張する「カスリーン台風時には八斗島地点上流部で大きな 氾濫があった」との事実を完全に否定されました。
例えば、22,000㎥/秒を裏付けるためにと国交省が有識者会議 に資料提供した「大氾濫図」の出鱈目さ、インチキさを指摘し、さすが に有識者会議でもこの「氾濫図」は根拠資料としては使用されず、無視 されることになった事実が明らかになりました。
また、大熊証人は、現場の地形や高低差などから考えて到底氾濫する ことがないような地域にも氾濫が発生したかのような国交省の図示に対 して具体的に地域を特定して氾濫を否定しました。
その論拠は明確であり、且つ合理的であったことは周知の通りであり ます。よって、カスリーン台風時には八斗島地点上流部において、「氾 濫がなかった」事実は否定しようのない事実であることが明確になりま した。
9 更に、大熊証人は、国交省が、22,000㎥/秒の理論的根拠とし て使用した、いわゆる貯留関数法の「新モデル」が、根拠のないもので あることも明らかにしました。
即ち、有識者会議において「新モデル」の正しさを裏付ける論拠とし て引用したいわゆる「東大モデル」などについても、その誤りを具体的、 詳細に証言されました。
例えば、いわゆる旧モデルという計算式で算出した流量数字が新モデ ルという計算式を使用し、その中の変数の1つである飽和雨量の係数を 旧モデルの一律48という数字から130~∞に変更したにもかかわらず、その結論としての流量数字が殆ど変更がなかったという不自然な結論を挙げるなどして、この「新モデル」による結論に疑問を呈しています。
また、大熊証人は、有識者会議が、「東大モデル」をもって、この「新 モデル」の結論を概ね正しいと根拠づけている点についても、詳細に反 論し、意見書を提出していますが、証言時は時間の関係から一事例しか 示せなかったものの、「新モデル」と「東大モデル」双方の雨量計算結 果に14%もの相違がある事実を挙げ、到底科学的な「正しい裏付けに はなっていない」と証言しています。
更に、大熊証人は、新モデルの計算式において、前に述べた飽和雨量 の変更だけを実施し、他の係数を「旧モデル」計算式の際の係数を使用 した場合には、控訴人らが主張している16,000㎥/秒に近づく事 実をも明らかにしています。
これら多くの大熊証言によって、国交省及び被控訴人千葉県が主張し ている22,000㎥/秒との主張は、全く根拠のない、空疎な主張で ある事実が一層明らかになりました。
10 大熊証人は、更に、国交省が依頼したコンサルタント会社が作成した 資料に基づき検討した結果として、八ッ場ダム建設によっても、千葉県 には、殆ど「治水上の利益がない」事実をも具体的に明らかにされまし た。
11 以上述べたように、この東京高等裁判所の審理において、控訴人らは、 被控訴人が主張する八ッ場ダムの治水上の必要性について、その虚構性 を具体的に暴露すると共に、事実と科学的手法により、明確に反論し。 控訴人の主張の正しさを証明しました。
12 裁判所におかれては、是非これらの事実を虚心坦懐に眺め、その事実 の持つ重みを十分吟味し、科学的手法に基づく、合理的司法判断をし、 歴史の批判に耐えられる判決を出して下さるよう希望して、治水に関する代理人としての意見陳述を終えます。
以上
意見陳述書
2013年7月17日
控訴人ら代理人 弁護士 中 丸 素 明
控訴人ら代理人の中丸です。結審にあたって、一言意見を述べさせていただきます。
1 私が、とりわけ申し上げたいことは、次のことに尽きます。すなわち、この訴訟の意義を十分にご理解いただいたうえで、この事件の実体審理を通じて明らかになった主要な事実を、予断を排して、政治的な動向に左右されることなく、証拠に基づいてキチンと事実認定していただきたい。「釈迦に説法」であることを承知の上で申し上げれば、「国が決めたものだから間違いないであろう」といった原判決が陥った誤り、予断・迎合を厳しく排し、あくまでも客観的・科学的見地を貫いて、事実をみていただきたい。その上で、あるべき妥当な判断枠組みのもとで、万人が「なるほど」と納得できるような合理的な判断を下していただきたい、ということです。結論は、自ずから見えてくるはずです。
2「公共事業は、一旦動き出したら止まらない」と指摘されるようになってから、既に久しいものがあります。この国の、民主主義の成熟度合いの問題でもありましょう。国際的視野で見るならば、恥ずべきことです。 八ッ場ダム建設事業は、その典型例とされてきました。
このダム事業計画が浮上したのは、1952年(昭和27年)5月のことでした。実に60年以上も前のことです。いま、関係する1都5県の住民が、その巨額の公金支出が違法・無効だとして、一斉に住民訴訟を提起し、争われています。国土交通省をはじめとするこの事業の推進者らが、いかに声高にダムの必要性を叫ぼうとも、どれほど科学的な装いをこらそうとも、治水すなわち洪水防止効果の面においても、利水:必要な生活用水の確保の面からも、全く無駄なダムであることが、客観的、科学的に明らかになっています。とりわけ、この訴訟の最終盤における大熊孝証人による治水に関する証言は、この国の長年にわたる河川政策の決定的な誤りを明らかにするものでした。また、嶋津暉之証人による利水に関する証言も、千葉県にとって八ッ場ダムが全く不要であることを、一審後の実績値・データなどに基づいて、さらに明らかにするものでした。そればかりではありません。この無駄なダム事業の代償として、「関東の耶馬溪」と称される程の景観美を誇る吾妻渓谷、多くの人々を癒し続けてきた川原湯温泉が、ダムの底に沈められようとしているのです。
3 ダムを建設するかどうかは、高度の政策決定に属する事柄といえましょう。そこには、一定の裁量が認められることも、いわば当然のことです。また、関係地方公共団体が、ダム建設のために公金を支出するかどうか、言い換えればその事業に参画するかどうかについても、ある程度の裁量に委ねられることも否定しません。しかしながら、その裁量権も無限定のものではないことも、地方財政法等の規定をまつまでもなく、当然すぎるほど当然のことであります。では、本住民訴訟において、司法審査の判断基準はどうあるべきでしょうか。
本件において、支出負担行為を違法と評価するか否かの審査基準は、「著しく合理性を欠き、予算執行の適正確保の見地から看過し得ない瑕疵を有している」か否かによるべきです(準備書面(21))。そして、その判断にあっては、小田急事件最高裁判決(最判平17・12・7)が示した基準を基本とするべきです。
小田急事件において、最高裁は、次の場合には行政の裁量を逸脱する、すなわち違法となるとして、司法審査の判断基準を示しました。この判決は、都市計画事業の認可取消請求事案に関するものですが、この判決が示した判断基準は、広く普遍性を有するものといえます。この最高裁判決が示した裁量権の逸脱にあたる場合とは、一つには「その基礎とされた重要な事実に誤認があること等により重要な事実の基礎を欠くことになる場合」であります。また今一つは、「事実に対する評価が明らかに合理性を欠くこと、判断の過程において考慮すべき事情を考慮しないこと等によりその内容が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くものと認められる場合」であります。
この判断基準に則していえば、本件においても次のことがチェックされ、そして判断の基礎とされなければならないことになります。
①その基礎とされた重要な事実に誤認がないかどうか
②そのことによって、重要な事実の基礎を欠くことになってはいないか
③事実に関する評価は合理的になされているかどうか
④判断の過程において、考慮すべき事実・事情が過不足なく考慮されているか、逆に、考慮すべきではない事実・事情を考慮してはいないかどうか
⑤その結果、社会通念上妥当性を欠く結果に陥ってはいないかどうか
このような観点から、主要な事実を冷徹に見るならば、基礎となった重要な事実に誤認が数多くあるなど、本件支出が社会通念上妥当性を欠き、違法・無効であるとの結論を導き出すことは、実に容易なことです。
4 具体的な問題に入る時間がありませんので、私からは、利水及び治水に関して決定的に重要な事実を一つずつ取り上げるに止めます。
まず、利水についてですが、ただいま相代理人が述べたとおりです。巨額を投じて生活用水・工業用水をさらに確保することが必要かどうかが問われているのです。ですから、現状で水不足があるのかに加え、そして将来深刻な水不足が生じる可能性があるのか、という正確な需給予測が何よりも重要です。千葉県の場合どうだったでしょうか。もっとも重要な指標とされる1日最大給水量でみてみましょう。千葉県水道局が平成13年に行った需要予測。県営水道に関しては、この時の予測を根拠に八ッ場ダム事業への参画を決めました。この予測では、平成20年度は126万立方メートルとされたのです。ところが、平成20年にやり直した予測では、この年度は111・3万立方メートルへと、一挙に14万7000立方メートルも下方修正せざるを得ませんでした。相代理人も述べたとおり、八ッ場ダムによって12万0400立方メートルの水源を確保する計画でしたから、わずか7年の間に、その分を上回る下方修正をせざるを得なかったのです。すなわち、平成13年に20年予測と同様の需要予測をしていれば、八ッ場ダム事業に参画する必要は全くなかったのです。13年予測自体、当初から非科学的な、あえて言わせていただくならば「馬鹿げた」ものでした。何故なのか。当局は、それほど無能なのか、あるいは作為的なものだったか、そのいずれかしかあり得ません。有能な職員各位のことですから、無能と言うことはないでしょう。だとすれば、意図的な、ダムを造らんがための作為であって、科学的な予測とは無縁の代物だったと断じざるを得ません。
5 治水に関しても、一つだけ取り上げておきます。降雨と流出の関係づけを行う作業は、流出解析とよばれています。国土交通省はいくつかの手法の中から、長年にわたってその多くを「貯留関数法」と呼ばれる手法を用いて行ってきました。その「貯留関数法」という流出解析モデルが、最近になって、全くの非科学的なものであったことが露呈してしまったのです。冨永靖徳:お茶の水大学名誉教授の言葉をお借りすれば、それは「科学」(サイエンス)の名に値するものではなく、「魔術」(マジック)とでも称するしかない代物にすぎないことが暴露されたのです。このことが確認されるに至った経過についての詳述は避けますが、国土交通省は、1961年に貯留関数法が提案されて以来、治水政策を策定するための流出解析の多くを、この手法を用いて行ってきました。恐るべきことではないでしょうか。これまで長い期間にわたって、科学性を欠き、いくらでも恣意が介在しうる方法で解析された事実を基に、治水行政が進められてきたのですから。これは、八ッ場ダムだけの問題ではなく、1960年代以降のダム建設計画を含む治水政策を総点検する必要が出てきたことを示しています。
6 最後に
私達人類の愚かな営みにもかかわらず、吾妻渓谷は、まだ厳として存在しています。川原湯は、絶えることなく豊かな温泉をいまも湧出しています。幸いにも、今なら過ちを正すのに、まだ間にあいます。ただ、そのために残された時間は、あまりにも少ないのです。
テレビドラマでみる会津藩ではありませんが、「ならぬものはならぬ」「駄目なものは駄目」なのです。これ以上、この国の為政者達の、恣意、放漫、自堕落を許してはなりません。
貴裁判所におかれては、司法に託された崇高な使命に基づいて、事実を直視し、厳正な判決を下されたい。そのことが、ひいては利権構造で「がんじがらめ」になったこの国の、ねじ曲がった河川政策と公共工事のあり方を糾し、本当の意味での国民・住民のために役に立つ河川行政に舵をきらせることにもつながるでしょう。
そのことを切望して、結審するにあたっての意見陳述といたします。
以 上
- [2013/07/23 19:54]
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まるでコピペ判決
11:45より県庁前で街宣を行いました

マイクの調子が悪く人間拡声器となって傍聴を呼びかける原告団メンバー

傍聴券は抽選。このトンネルのような通路中程から整理券を求めて並びます

午後12時半、裁判所前に並んだ傍聴希望者の列は、どんどん長くなり・・

ついに道路にまで溢れました。
90人定員の法廷に入りきれないほどの人が集まり、抽選。

今日は何か大きい裁判があるんですか?の問いに「八ッ場です」と答えると「八ッ場!!仕事なんかしてる場合じゃねえ!」とポーズをとる、ワーカーたち

敗訴!
不当判決の「旗出し」

県庁で記者会見

NHKと千葉テレビ

判決に失望と不満をぶちまける原告と弁護士たち

昨年の東京裁判の判決文をそっくり引き写しただけの「コピペ判決」
裁判長は堀内明氏

弁護団のうち菅野、広瀬弁護士が駆けつけてくれ、判決要旨を解説。
判決文「千葉県が国に対し、八ツ場ダム使用権設定申請を取り下げることを怠ったことは違法である」とする住民の主張は、使用権は財産に当たらないので、住民訴訟の対象とはならないから、却下する。
コメント:使用権は立派な財産である。また、国が勝手に決めた無駄な公共事業をやめるよう直接国民が争うことが、
現在の法律では不可能である。「負担金」を差し止めることしかできないが、この判決のように、司法は常に国の味方であるので、住民が勝つのは相当困難である。
判決文「利水については、平成13年の県の水需要予測が明らかに不合理な推計であると認めるのは困難である」「平成20年の予測が明らかに不合理な推計であるとは認められない」
コメント:千葉県の水需要予測は明らかに過大。これは統計で明らかになっているので、裁判所も否定できないのに、
それを「不合理な推計であるとは認められない」という言葉でお茶を濁している。はっきりと「適正な推計である」 と言えないところに、苦しい言い訳がある。
一 言でいえば、「いくら水が余っていようと、いつか水が足りなくなるかもしれないから、いいんだよ」これでは、なんでもありの世界。やりたい放題の行政を認 め、追認する裁判官の姿勢は、「最小のコストで最大の効果を」という、地方自治法が定める地方公共団体の責務を無視したトンデモナイ判断。
判決文「治水については、計画流量である22000㎥が明らかに不合理だと判断することはできない」
コメント:「国 は22000の根拠を資料として出せないでいる。22000ではなく、16750しかないと認めて いるのに、上流部分でもし将来治水工事がされ、氾濫が なくなって水が全部利根川を流れるようになるかもしれない。そのときは22000になるだろう、という屁理屈。これも「もし」を前提とした何でもアリの論 理であり、河川法 63条「支出には、著しい利益がなければならない」とする趣旨に反している。
そのほか、
*今回の判決は、コンクリートから人へと政治は変わったにも関わらず、相変わらず公共事業の在り方を一切考慮せず、住民に背を向けた談合判決である。
*クソ判決! 水漏れ判決! 欠陥判決! 堀内裁判長は逃げた!
*水道は地方公営企業法に基づき独立採算制でやっているのだから、料金適正化を図らねばならないのに、水源にどんどん金をつぎこんでいる現状はおかしい。

嶋津さんもがっくり

最後は全員で写真撮影をし、みんなで再度力を合わせて高裁へ控訴しようと誓い合った。
行政訴訟で住民が勝つことは極めてむずかしい。今回、その扉をこじあ けることはできなかったが、鍵の開け方が見えてきた。

メキシコのことわざにある。「最悪の事態は、よりよい状態への準備期間である」

マイクの調子が悪く人間拡声器となって傍聴を呼びかける原告団メンバー

傍聴券は抽選。このトンネルのような通路中程から整理券を求めて並びます

午後12時半、裁判所前に並んだ傍聴希望者の列は、どんどん長くなり・・

ついに道路にまで溢れました。
90人定員の法廷に入りきれないほどの人が集まり、抽選。

今日は何か大きい裁判があるんですか?の問いに「八ッ場です」と答えると「八ッ場!!仕事なんかしてる場合じゃねえ!」とポーズをとる、ワーカーたち

敗訴!
不当判決の「旗出し」

県庁で記者会見

NHKと千葉テレビ

判決に失望と不満をぶちまける原告と弁護士たち

昨年の東京裁判の判決文をそっくり引き写しただけの「コピペ判決」
裁判長は堀内明氏

弁護団のうち菅野、広瀬弁護士が駆けつけてくれ、判決要旨を解説。
判決文「千葉県が国に対し、八ツ場ダム使用権設定申請を取り下げることを怠ったことは違法である」とする住民の主張は、使用権は財産に当たらないので、住民訴訟の対象とはならないから、却下する。
コメント:使用権は立派な財産である。また、国が勝手に決めた無駄な公共事業をやめるよう直接国民が争うことが、
現在の法律では不可能である。「負担金」を差し止めることしかできないが、この判決のように、司法は常に国の味方であるので、住民が勝つのは相当困難である。
判決文「利水については、平成13年の県の水需要予測が明らかに不合理な推計であると認めるのは困難である」「平成20年の予測が明らかに不合理な推計であるとは認められない」
コメント:千葉県の水需要予測は明らかに過大。これは統計で明らかになっているので、裁判所も否定できないのに、
それを「不合理な推計であるとは認められない」という言葉でお茶を濁している。はっきりと「適正な推計である」 と言えないところに、苦しい言い訳がある。
一 言でいえば、「いくら水が余っていようと、いつか水が足りなくなるかもしれないから、いいんだよ」これでは、なんでもありの世界。やりたい放題の行政を認 め、追認する裁判官の姿勢は、「最小のコストで最大の効果を」という、地方自治法が定める地方公共団体の責務を無視したトンデモナイ判断。
判決文「治水については、計画流量である22000㎥が明らかに不合理だと判断することはできない」
コメント:「国 は22000の根拠を資料として出せないでいる。22000ではなく、16750しかないと認めて いるのに、上流部分でもし将来治水工事がされ、氾濫が なくなって水が全部利根川を流れるようになるかもしれない。そのときは22000になるだろう、という屁理屈。これも「もし」を前提とした何でもアリの論 理であり、河川法 63条「支出には、著しい利益がなければならない」とする趣旨に反している。
そのほか、
*今回の判決は、コンクリートから人へと政治は変わったにも関わらず、相変わらず公共事業の在り方を一切考慮せず、住民に背を向けた談合判決である。
*クソ判決! 水漏れ判決! 欠陥判決! 堀内裁判長は逃げた!
*水道は地方公営企業法に基づき独立採算制でやっているのだから、料金適正化を図らねばならないのに、水源にどんどん金をつぎこんでいる現状はおかしい。

嶋津さんもがっくり

最後は全員で写真撮影をし、みんなで再度力を合わせて高裁へ控訴しようと誓い合った。
行政訴訟で住民が勝つことは極めてむずかしい。今回、その扉をこじあ けることはできなかったが、鍵の開け方が見えてきた。

メキシコのことわざにある。「最悪の事態は、よりよい状態への準備期間である」
- [2010/01/21 19:17]
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八ッ場千葉裁判 不当判決の要旨
- [2010/01/19 23:43]
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